
【渋谷に来て10年、区議になって2年】
迷いながら歩んできた私と、渋谷という街の「懐の深さ」
皆さん、渋谷という街を少し誤解しているかもしれません。
渋谷と聞くと、どんなイメージを持ちますか?
スクランブル交差点、人の波、流行の最先端、眠らない街…。
なんとなく「都会的で冷たい」「人と人の距離が遠い」そんな印象を持っている方も多いかもしれません。
でも、実際に10年ここで暮らし、地域の皆さんと深く関わる中で、私はまったく違う渋谷の顔を知りました。
渋谷は本当は、どこよりも暖かく、どこよりも懐の深い街かもしれない——。
今日はそんな、私が出会った“もうひとつの渋谷”について、お話ししたいと思います。
渋谷に来て、あっという間の10年
渋谷に住み始めて10年。
そして渋谷区議会議員として2年が経とうとしています。
この2年間は、目まぐるしく人生が動く毎日でした。
多くの人と出会い、学び、時には戸惑いながら、なんとかここまでやってきたというのが正直なところです。
私自身、政治家としても、また人生経験という意味でも、まだまだ未熟だと感じています。
渋谷区議会の中でも知識・経験共に未熟さを痛感する毎日です。
それでも、私には一つの財産があります。
それは、「渋谷で暮らしてきた時間」と「ここでできたたくさんの仲間たち」です。
渋谷の不思議な魅力と「日本らしい多様性」
私は石川県金沢市出身ですが、もう10年も渋谷で暮らしてきました。
最初は「音楽がしたい!」という思いで上京し、見事挫折して会社員となり、地域活動を通じて、多くの人たちと出会い、つながってきました。
渋谷はとても不思議な街です。
私のように外から移り住んできた人もいれば、二代三代にわたって住み続けている方もいる。
そんな人たちが入り混じって暮らす中で、渋谷は自然と「多様性」を重んじる街になりました。
でも、ここで言う多様性は、どこか“日本らしい”ものだと思うのです。
決して表面的な「違いを受け入れよう」というスローガンではありません。
むしろ、「お邪魔します」という謙虚な気持ちや、古くからの住民を大切にしながら新しい人も温かく迎える——
そんな日本人らしい心根が、この街の多様性を支えているように思います。
歴史が育んだ「受け入れる街」
少し歴史を振り返れば、渋谷という街は、もともと牧場や貴族の土地が多く、そこを宅地化して多くの人が住む街へと姿を変えてきました。
たとえば、今の松濤エリアは鍋島侯爵家の土地として知られており、時代を経て多くの人が集まる街になっていきました。
そんな渋谷だからこそ、昔からの住民も、私のように外から来た人も、自然と交わり、共に暮らしていける「懐の深さ」があるのだと思います。
実際、私は区議になる前から地域の皆さんと関わらせていただき、今ではお祭りや子どもたちの行事を一緒に作り上げる立場になりました。
かつて外から来た身だった私が、こうして地域の一員として迎えられ、共に街の未来を担えることは、本当に光栄で、感慨深いことです。
渋谷とともに、これからも
私自身、政治家としての道を歩み始めてまだ日は浅いですが、
渋谷のこの「日本らしい多様性」や「懐の深さ」に支えられて、ここまで来ることができました。
未熟でも、迷っても、それでも受け入れてくれる場所がある。
そう思える街で政治に取り組めることを、心から嬉しく、また誇りに思っています。
これからもこの渋谷の街とともに、地域の皆さんと歩んでいきたいと思います。
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